活躍する女性研究者・技術者-11 「夢に向かって奮闘中」
小浦 節子 Setsuko Koura 日新製鋼(株) 技術研究所研究企画チーム 主任部員 1.経歴 縁があり日新製鋼に入社しました。当時、面接で覚えていることがあります。ある役員の方から、「あなたは仕事をしながら結婚もし、子供も産むつもりですか?」と質問され、「はい。結婚もし、子供も産み、仕事も続けたいと思います。」と答えると、「あなたは欲張りですね。」と言われました。実際、今は結婚し子供も産み、そして仕事を続けていられるので、幸せかもしれません。 入社後、堺の研究所で半年過ごし、すぐに同年できた新材料研究所に配属されました。新材料研究所では、大学時代もそうでしたが、テーマも進め方も自分で決めてやることができました。その当時はまだポピュラーではなかった常温溶融塩(今ではイオン液体といわれ、電池などで脚光を浴びていますが)を用いた電気アルミニウムめっきの研究、およびその技術で得られた材料の燃料電池用への適用研究などを進めてきました。博士課程を出て工学博士ではありましたが、まだ20代で入社したての私に、そこまでやらせてくれた会社や周りの人に、とても感謝しています。当時、役員の方から「人、物、金、いくらほしいか言ってみろ!」と言われました。どのように答えたか覚えていませんが、「この人は私に賭けてくれるのかしら?」と思い、頑張らなければいけないと感じたものでした。いまだにテーマは自分で探し、とことんやるという姿勢は、この当時に体にしみ込んだものかもしれません。 新材料研究所での仕事がある程度技術的に進歩した頃、米国で勉強したいという気持ちが強くなり、留学を希望しました。大学時代からのいつか米国で研究したいという思いは、入社7年目で叶えられました。アルゴンヌ国立研究所で1年3ヶ月を過ごし、常温溶融塩の存在状態を中性子線回折やNMR、ラマンによる解析、そしてab initio法というコンピューターを使っての理論解析からとことん突き詰めることができました。短い期間にいろいろなことができたのは、周りの協力があってのことと感謝しています。アメリカ人は、こちらが何も言わなければ何もしてはくれません。自分の考えをストレートに伝え、何のためにどうしたいのかを訴えて納得してもらえれば、惜しみなく協力してくれ、一緒に考えることができました。そしてたくさんの友達を得ることができ、今でも私の財産だと思っています。 日本へ戻ると、バブル崩壊の時期でもあり、新材料研究所は人数も少なくなり、やがてなくなりました。その間ずっと、鉄に関連する新しいことをやるべきと思い続け、光触媒を建材用途に使う研究をしておりましたが、鉄鋼研究の塗装・複合材料研究部の所属になった後も、テーマはそのまま継続、商品化にこぎつけました。時を同じくして、思いがけなく子供を出産することとなったのです。それからが大変でした。産後休暇後に会社へ戻ると、商品で問題が発生し、その原因究明と対策で必死な期間が続きました。また、子供も0歳から保育所へ預けました(保育所に預けられる3ヶ月までは、母親にも助けてもらいました)が、病気することもあり、1歳までに2度(肺炎気味と熱性痙攣)も入院させることになりました。この当時が一番大変な時期だったかもしれませんが、子供の存在はなにより大きな支えでした。子供の笑顔が私のすべてを癒してくれるとともに、強さを与えてくれました。仕事面では、ある役員の方の「最後はいかに自分を信じきれるかが重要だ。」との言葉が胸に沁みました。 それから、3年前に研究の現場を離れ、本社の研究企画へ異動しました。そこでは、将来の研究開発テーマを発掘し、現地の研究者に、納得の上、夢を持ってその仕事を推進してもらえるように企画するのが仕事です。私はずっと夢を追いかけ実現しようと進んできたように思います。時にはがむしゃらに、時には仲間と一緒に、時には周りに励まされ、前を向いて走って来ました。今は、後輩の人たちにも夢を与え、その夢の実現に向けて少しでも力になりたいと思っています。 2. 2人のMarie ・Marie-Louise: 優しさと強さを兼ね備えた女性 Marie-Louise Saboungiは、米国・アルゴンヌ国立研究所の女性研究者で、私のスーパーバイザーを務めて下さった人です。子供たちにはもちろんのこと、周りの人にもとても優しく接し、時間がなくても人のために話を聴き、行動していました。一方、不合理なことに対しては敢然と立ち向かう強さも持ち合わせ、主張すべきことは主張していたように思います。1年3ヶ月一緒に仕事をし、今でも友人としてコンタクトしていますが、非常に影響を受けた一人で、私も彼女のように優しく強くありたいと思っています。 ・Marie(真理恵):最愛の娘 子供を諦めた時に授かり、超高齢出産で産んだ娘です。生活が全く変わり、考え方も変わりました。まず、時間の使い方については考えさせられました。育児休業制度はありましたが、仕事するのが当然とずっと考えてきましたので、産休のみですぐに仕事に復帰しました。ただ、保育所へ預けたので時間外の仕事や遠方の出張はできませんでした。そんな中、仕事でクレームが発生し、子供も入院するなど、大変な時期がありました。一週間の一度目の入院では、完全看護をお願いして付き添いませんでした。朝、仕事前に病院へ寄ると、ナースステーションでベッドのカゴに入ったまま大泣きしている我が娘がいました。自分は一体何をしているのだろうと思いました。こんなかわいそうな状況にして、仕事だって満足にできるはずがないと悟りました。4日間の二度目の入院の時は、無理を言って仕事を休み、子供に付き添うことにしました。中途半端は止め、今何が大事かを考えて行動するようになったと思います。そして、この時、私は何からも逃げなかったと思っています。仕事からも、子供からも。だから今、会社の思いやりもあって、家庭と仕事を両立できているのかなと思っています。 また、子供が小学校1年の時、「ママ、仕事を辞めて他のお母さんみたいにずっと家に居て!」と言われました。その時、“自分は本当に子供に恥じない仕事をしているのか?”と問いかけました。いつも必死で頑張っているかというとそうではありませんが、常に自分の考え、目標、夢をもって仕事をしていると思うし、それが相手(ユーザーであったり、一緒に仕事をしている人であったり)のメリットになれば良いと思って行動しているつもりなので、大丈夫だと思えました。子供には、どんな言葉で伝えたか忘れましたが、“大事な仕事をしているから、仕事は辞められない”ことを話しました。それから言わなくなったので、何かを感じてくれたのかもしれません。それから時々、「Marieに恥ずかしくない?大丈夫?」とチェックしています。 3. 最近感じたこと 最近、大学、国研、民間などいろいろな研究機関やユーザーと接する機会が大幅に増えましたが、女性研究者にも出会う機会が非常に増えました。皆生き生きとしていて、仕事に誇りを持って取り組んでいると感じることが多いです。世の中、女性もちゃんと認められ、活躍できる環境が徐々に整ってきていることを肌で感じます。女性研究者には、躊躇せず夢を持って活躍してほしいと願っています。私自身、すばらしい上司・仲間に恵まれ、また比較的時間に融通のきく夫のサポートにも支えられ、楽しく仕事を続けています。 昨年は、近代製鉄発祥150周年にあたり、鉄鋼連盟の一員として記念行事の実行に携わりました。小学校での実験キャラバンを通じ、次の世代を担う子供たちに科学の楽しさ・可能性を伝えることの重要性を感じました。子供たちが夢を持ち、その夢の実現に向かって努力することに少しでも協力できれば幸せだと考えています。 150周年記念行事・科学実験キャラバンの講師とともに (2009年3月27日受付) 「ふぇらむvol.14 No.6掲載」 |