活躍する女性研究者・技術者-2 「“お母さん研究者”をめざして」
林 幸 Miyuki Hayashi 東京工業大学 大学院理工学研究科 助教授 この度、「活躍する女性研究者の1人として後進へのエールとなる記事を書いてくれませんか」との栄誉あるご依頼を頂きましたが、現在私は、38歳という高齢で第1子を出産し「子育て」を開始したばかり。自分自身、大学教員として、研究者として、この先「子育て」と「仕事」を本当に両立していけるのか分からない状態にあって、とても後輩達を勇気付けるような立派なことを書くことはできません。しかし、数少ない女性研究者の中にも私のようなでき損ないがいて、おまけに「子育て」と「仕事」の両立にあえいでいるのだ!ということをご報告するだけでも後輩へのエールになるのではないかと思い、この記事を書くことにいたしました。 私は、10年前に東京工業大学大学院理工学研究科金属工学専攻(当時)を修了、博士(工学)を取得した後、同大学で教員をしております。途中、アイルランドとスウェーデンで計2年半ポスドクをいたしました。主に溶融酸化物(ガラス固体を含む)および溶融金属の物性(磁性、光吸収係数、熱伝導度、熱拡散率、粘度、放射率、音速など)と構造との関係について研究を行ってきました。最近は、マイクロ波加熱による製銑について研究を行っております。製銑・電磁気学ともに無知なため、勉強しなければならないことが山積しております。 2006年1月末に出産し、しばらく育児に専念しておりましたが、6月1日に職場復帰いたしました。現在、研究室の教授、同僚、学生、専攻や学科の先生方をはじめ多くの方々の温かい励ましとご協力を受けながら、何とかかろうじて仕事を続けております。子育てをしながら仕事を続けていくということは、実に周りの方々に多大な迷惑をおかけするものだと日々痛感しております。周りの方々の支えがなければ到底仕事を続けていくことなどできません。例えば、子供の保育園へのお迎えに間に合うように、今まで17時から始まっていた研究室の講究を午前中に変更して頂いたり、夕方から始まる専攻や学科の会議を途中で退出させて頂いたりしております。保育園に通う赤ちゃんは、実によく風邪をひくもので、病院に連れて行くために、しょっちゅう仕事を遅刻したり休んだりしております。毎晩夜中に何度も授乳や夜泣きで起こされるため、いつも寝不足で頭がボーッとしているせいか、本当に物忘れがひどくなり、頼まれた仕事を忘れて催促されることも度々です。学生とのディスカッションも、保育園へのお迎え時間が来ると打ち切らせてもらい、翌朝に続きをやってもらうこともあります。この様な悲惨な状態であるにもかかわらず、周りの方々は私を温かく受け入れて下さり、本当に心から感謝し、また申し訳なく思います。 大学教員の仕事は大きく分けて「教育」と「研究」からなりますが、この2つの仕事のうち「教育」が優先され、こちらはおろそかにすることはできませんので、「研究」すなわち自分の業績を積むことを後回しにして、なんとか「子育て」と「仕事」を両立させております。こうしてみると、女性研究者にとって「子育て」は研究生命にかかわる致命的な障害のように見えます。そして、今の私には、子育てをしながらでも立派に研究を続けていくことができる、とは断言できません。しかし、今、私が後輩の女性研究者の皆様に申し上げたいことは、「子育て」と「仕事」のどちらか一方を選択し1つのことに専念するのも当然、潔い立派な生き方ではあるけれども、「子育て」と「仕事」の両方を選択し両方を続けていこうと努力することもまた1つの生き方ではないか、ということです。その結果、たいした研究活動もできず、研究成果も得られず、おまけに子供はぐれてしまった、と、全てが失敗に終わるかもしれません。しかし、もし、研究は続けたいけれども子供をもつことも諦めたくない、と思っているのなら、やはり最初から「子育て」と「仕事」の両立を諦めるのではなく、両立をチャレンジしてみるべきなのではないでしょうか。私は、両立への道を選択する決断を下すのに数年、その後不妊に悩むこと数年を経て、ようやく38歳にして子供をもつことができました。まだまだ周囲で子育てをしながら研究を続ける女性研究者を見かけることはほとんどありませんが、子供が欲しい女性研究者が子供を持つことに躊躇することのない世の中になれば良いなとつくづく思います。そして私は、20年後も研究を続けていて、子育てを無事終えたあかつきに、このふぇらむに、研究者人生にとっての「子育て」の意味、「子育て」を通して学んだことについて皆様にご報告ができたら、なんと幸せな人生であろうと切に思います。 研究室にて (2006年11月6日受付) 「ふぇらむvol.12 No,3掲載」 |