活躍する女性研究者・技術者-12 「ものづくりの会社に勤めて」
吉田 裕美 Hiromi Yoshida JFEスチール(株)スチール研究所 薄板加工技術研究部 1.はじめに 工学系研究科金属工学専攻の修士課程を修了後、当時の川崎製鉄に入社して8年余りになります。入社以来薄鋼板を扱う部署に在籍し、主に自動車用鋼板そのものの研究開発に携わってきましたが、この春異動があり、現在は鋼板の加工(プレス成形)技術にかかわる仕事をしています。専ら新入社員のような毎日で、新たな分野に不安を抱きつつも、自分のフィールドを広げるため一から勉強中の身です。とても胸を張って「研究者です」と言える自信もない発展途上者の拙文で恐縮ですが、自分なりの言葉で今の仕事への関わり、職場の状況などを紹介させていただきたいと思います。 2. なぜ鉄鋼会社に? 幾つもの進路選択を重ねた末に辿り着いた理系の修士卒それも材料系という履歴ですが、将来の職業として技術者や研究者としてメーカ企業で働くことは考えていませんでした。技術系に拘らず就いてみたい職業が幾つかあった中で、民間企業の技術職に就くのもいいなと思い始めたのは修士課程の時でした。金属精錬の速度論を修論テーマにして、物質を反応させてデータ取りをする傍らで精錬後の物質を眺めているうちに、何か「これは私が作ったの!」と言えるものを世に送り出してみたい気持ちが芽生えたことがきっかけでした。 「鉄鋼」を選んだ理由は幾つかありますが、就職活動期以外も含めて自分が実際に見た会社・工場・現場の中で、製鉄所が一番好きになったから、というのが率直なところです。製鉄所のスケールの大きさやその迫力に呑まれたのかもしれませんが、そこで働く人たちも含めて、“好きになれそう”と感じられるかどうかは、細かい仕事内容に大きなこだわりを持たなかった当時の私には大切なことでした。就職後は人生の多くの時間、しかも平日の昼間というイイ時間を会社で過ごすことになるのですから、好きなればこそ、そこに楽しさや充実感を見出し易いのではないか、と。 高炉から流れ出る溶銑、転炉へ溶銑装入時に飛び散る火の粉、熱延工場でランナウトテーブルをまさに「走って」いく赤い鋼帯を何度見ても、無性にわくわくし心が躍ったことを憶えています。見学後にその気持ちを率直に話し「ランナウトテーブルを一緒に走りたくなった」と言った私に、社員の方(女性!)が「それが自分の(開発した)板だったらもっと格別よ」と仰った一言がとても印象的でした。この一言が、鉄鋼メーカを志望しようと心の中のスイッチを入れてくれ、この会社で材料開発に携わってみたいと思った(その時は漠然としたものでしたが)「はじまり」だった気がします。 もちろん、私の選択そして志望の先に会社側の採用という判断があって入社が叶っているわけですが、製鉄所を何度か見学出来たこと、そこで働くことの魅力を感じさせてくれた社員の方々に出会えたことは「縁」と「運」だったと思っています。これから就職活動をする学生には、興味ある会社や工場へは積極的に出向き、自分の目で実際に働く現場を見ると共に、そこで働く人たちと出来る限り沢山の会話をして「良縁」を手繰り寄せて欲しいと思います。 3. 会社で「ものづくり」に携わって 入社後すぐに研修として製鋼工場に勤務しました。学生の時と変わらず、いえむしろそれ以上に、ものづくりの現場は私の心をグッと掴んで引き上げてくれました。現場である工場には教科書とは違う、現実の事象に基づいた世界がそこに広がっていました。作業一つ一つに「何故?」という疑問をもつこと、そして、その答えを自分で探して来ることが実習課題の一つでした。添加される合金を遡って建屋最上階のホッパーや隣の粉砕工場へ、水の流れを追って地下の排水溝へ、時には天井クレーンに乗って作業を観察しました。工場や研究所で出て来た結果や事象が間違いなく答えで、それを理論づけることで工業的な再現性を得ることができる。だから、エンジニアがすべき仕事のひとつは、この現実の事象と理論のギャップを埋めること。現状を正とせず常に何が正しいのかを考えながら自分の観点で物事を理解する大切さを学びました。とは言え恥ずかしながらなかなかそのギャップが埋められず、考えても答えが出ずにもがき続けていることが多いのですが…。 研修後は、就職活動時に抱いた“材料開発に携わってみたい”という漠然とした想いが現実となり、6年程自動車用鋼板の開発を担当しました。一会社員の立場上、開発材はたとえどんなに良いものでも「売れる」ものでなくてはならない。試作と雖も工場のラインを通す“こと”の大きさとその責任。現実の厳しさを切実に感じました。項垂れる日も多くありました。そんな中で、開発材の試作通板に初めて立会った時の気持ちはまさに「格別」なものでした。小さなサンプルで試行錯誤していたものが、今まさに工場で製造され、実機材として目の前を通っていった時のどきどきわくわくしたきもち。試作結果はともかく、その鋼板が愛おしくて仕方ありませんでした。また、開発にもがいている時にお客様から「期待しているから。ぜひ作って。」と言われた時のうれしさは一入でした。他から必要とされていることを実感して初めて、仕事に対する「やりがい」を知った気がします。 ものづくりの魅力は色々あるかと思いますが、今の私が思う魅力の一つは、何か新しいものを発見して創り生み出す過程には何かしら困難や苦難があるけれど、その中に或いはその先に、机上の段階では味わえない或る種の満足感や悦びが存在することだと思っています。本質的に、学ぶこと創造することの喜びは取りも直さず、考えることの悦びであり、考えた末にそれなりの結果を出すということの満足感なのでしょう。 凡庸な人間が身の丈相応に感じた稚拙な満足感や悦びだったかもしれませんが、こんな出来事の積み重ねが、時折会社でへこたれそうになる自分自身の支えになっています。もちろん会社の業務は自分ひとりで出来るものではありません。時には仕事以外の話題でも盛上れる上司や先輩後輩が周りに沢山いるおかげで、しんどい毎日の中にも悦びや楽しみを見つけつつ今まで仕事を続けてこられたのだと思っています。 4. 今そしてこれから 会社では女性が少ないため良くも悪くも目立つことがあるかもしれませんが、仕事中に女性だからと特に意識することはありません。男女はもちろん同権ですが決して同質な生き物ではありませんから、その区別はあって然るべきだと思っています。そういう意味で、数の上では男性社員に「交じって」いるかもしれませんが、気持ちはいつも「混じって」仕事をしているつもりです。 結婚も出産も経験がない私が、この先仕事を続けていく上でムズカしく考えがちなのは、育児中の身になった時のことです。ペースダウンや捌ける仕事の絶対量もそうですが、仕事上得られる機会の数とそれを享受できるかどうかということも悩ましいのが正直なところです。2年前に顧客先に駐在する機会がありました。これは今の仕事をしていく上では貴重な経験でしたが、当時もし育児中の身だったら、そもそもこの機会は巡って来ただろうか、巡って来たとして享受できただろうか、と。留学制度の機会、転勤や数日間に亘る出張も同様です。要は仕事に対する価値観や自分にとってのpriorityの問題に過ぎず、生きていく時間の中で、その時自分が何を一番大事にしたいかというだけのことなのかもしれませんが…。初婚年齢が高くなり出生率が低くなるのは女性の社会進出がその一因だと言われたら、今の私は「そうかもね」と頷いてしまいます。 仕事との両立に対しては、家事や育児だけでなくこれからの高齢社会では介護の問題も出てくると思います。生き方や考え方が多様化し、様々なライフスタイルが存在している今日、会社に限らず社会全体の制度や仕組みが、家の内外問わず働く人全てにとって柔軟に対応できるものになっていく必要があると思います。先輩方が切り開いてくださった道の上に今自分が立っていることを思うと、後進のため、私も何かしていかなければならないでしょう。 教師になりたい思いがあり学生時分に教員免許を取得しました。しかし大学を卒業してすぐの自分が生徒たちに一体何を教えられるのかと、10年前の私には自信がありませんでした。当時新聞で民間企業経験者の教員採用に関する国の答申記事を見たことも企業就職選択の後押しになりました。いつの日か、自分が学んだこと経験したことを、自信を持って子供や生徒たち後進に伝え、残せるようになりたいものです。 写真 現職場での仕事の様子 実験棟でのプレス試験 プレス品の評価 (2009年7月13日受付) 「ふぇらむvol.14 No.10掲載」」 |